荷風塾 No10 : ところがこの定説に疑問を提起する事件が起こりました。実に映画監督の大御所新藤兼人が平成4年になって発表したものですが、荷風が浅草で最後に食事をしたのは「アリゾナ」ではなく蕎麦屋の「尾張屋本店」ではなかったかという疑問です(『老人読書日記』にも書かれています)。当時荷風を追いかけ回していたアマチュア写真家井沢昭彦氏や尾張屋の女主人の証言にとても現実感があり、荷風ファンの間に大きな衝撃を与えました。それを読んだ荷風研究家の松本哉氏はさっそく写真家の井沢昭彦氏や尾張屋の女主人に会われ、荷風が死ぬ一ヶ月ぐらい前に尾張屋でかしわ南蛮を食べてトイレでしりもちをついたとの重要証言を確認され、(新藤兼人氏は)「アリゾナを必ずしも無視しているわけではないが、尾張屋のトイレに何か真実の匂いを嗅ぎつけているのである」と新藤兼人説を支持されているのです(『永井荷風のひとり暮らし』)。アリゾナとは http://www.guidenet.jp/shop/226o/ に書いてあるように有名店。今でも週末ともなれば丸い眼鏡をかけた荷風ファンで賑わう。尾張屋本店も有名。荷風が蕎麦〔かしわ南蛮〕を食っている写真も掲げてある。別にどちらが「最後の晩餐」の舞台となったかについて競い合ってるわけでもないが、荷風ファンとしては気になるところである。でも、昭和34年の出来事であり、今となっては真相は分からない。
それで小生としては上記で引用した文章の後半〔リンク先〕で「おいらの新説」としてどちらの顔も立つような仮説を立ててみた:
荷風塾 No10 : 荷風はもっと早く朝昼兼の食事をとっていたのではなかったか? 樋口修吉は、荷風がアリゾナに顔を出すのは毎日11時半頃、時には11時前にやってきたという証言を得ています。アリゾナには昼前、尾張屋には昼過ぎと言うことなのです。荷風は食堂のハシゴをしていたのだ!これで今までのすべてのお互いに矛盾する証言はすべて合理的に説明が付くのである。今でもこれが正しいのではないかと愚考しているのだが、請うご批判。
0 件のコメント:
コメントを投稿